永遠なる未完成はすでに完成形

フールズの根幹の理念の1つ。
【ゴール定義】でもある。
他の教えでは通常【こうなったら終わりです。完成です】がある。
そこがゴールで、そこを目指す事が良いとされる。

この教えでは違う。
これは正確には「完成形を目指して、未完成を良しとして向かい続ける」こと自体が
既にゴールに到達した姿であり、完成した姿、という解釈。

なぜ「完成した姿」をゴールとして定義しないかというと。
それを理想とすると、必ずそれと比べて、足りない人を叩いたり批判したりしだすから。
それは抑圧につながるのです。
分かりづらい?なんとなくで把握しておけばいいよ!

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